松下幸之助

これからは競争から共生に、搾取から互助、物と金から心と愛になっていくだろう。

願いはするが無理はしない。努力はしても天命に従う。これが疲れないこつである。

春を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、やがてまた春のそよ風のように、心もやわらいで、生き甲斐も感じられてきます。

世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるということをやったら、 必ず成就します。

視野の狭い人は我が身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。

心のきれいな人、ストレスの少ない人、良心にそって生きている人、プラス発想の人、ツキのある人、バランス感覚の優れた人、我欲から自由な人、やさしい人、こういう人達は人相が良い。逆に言えばこのどれかを徹底して推し進めていけば必ず人相が良くなる。

とかく人間の感情というものは、うまくいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。 これは人間の一つの弱い面だが、それをなるべく少なくして、いつの場合でも淡々とやる。 信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。

自社伝統の精神を部下、後輩に話し伝えることは、社員たるものの尊い仕事であり義務である。

過去の結果は未来の原因である。

最も大切な自問それは、この一瞬にベストを尽くしているかである。

売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。

幸福とは自分が幸せなこと、成功とは自他ともにあの人は幸せだなあと思われること。他人に成功と思ってくれるにはやっぱり世のため人のために何かを残す。死ぬときに世のため人のためにずいぶんしたなあと思えたら成功である。

自分に不満な人は必ずいる。これを知ることである。

自然の理にかなったことで、事が成らないものはない。何にもとらわれない素直な心で、何が理なのかを見極めつつ行動していきたい。

人を待たせるということは、その人を大切にしていない証拠。あなたの時間より私の時間の方が大切ですという無言のメッセージである。

昨日の考えは、今日は一新されていなければならないし、今日のやり方は、明日にはもう一変していなければならない。

叱るときには、本気で叱らんと部下は可哀想やで。策でもって叱ってはあかんよ。けど、いつでも、人間は偉大な存在であるという考えを根底に持っておらんとね。

冷静ほど、大事なことはないのである。

才能がハシゴをつくるのではない。やはり熱意である。

自分の金、自分の仕事、自分の財産。自分のものと言えば自分のものだけれど、これもやっぱり世の中から授かったもの。世の中からの預かり物である。

信じられるのは行動であり、言葉ではない。

世の中には、大志を抱きながら大志におぼれ、何一つできない人がいる。言うことは立派だが、実行が伴わない。世の失敗者には、とにかくこういうひとが多い。

自分の長所にうぬぼれてはならない。自分の短所に劣等感をもつ必要もない。長所も短所も天与の個性、持ち味の一面なのである。

自分には自分に与えられた道がある。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあれば、くだりもある。思案にあまる時もあろう。しかし、心を定め、希望を持って歩むならば、必ず道は開けてくる。深い喜びも、そこから生まれてくる。

なぜ経営をせねばならないかという、その「なぜ』がわからなければ、経営は成り立たない。

やる気と競争が能率を上げる。そして優秀な人の真似をするとさらに効率が良くなる。

松下電器は何を作っているところかと尋ねられたら、人を作っているところだと答え、しかる後に電器製品も作っておりますと答えていただきたい。

経営をするものが、下手な経営、非能率的な経営、利益をあげない経営をすれば、そこが損をするだけではなく、その損失は全部の国民に影響するのである。

上手下手より誠心誠意。

何としても二階に上がりたい、どうしても二階に上がろう。この熱意がハシゴを思いつかせ、階段を作りあげる。上がっても上がらなくてもと考えている人の頭からはハシゴは生まれない。

自分をほめてあげたいという心境になる日を持ちたい。

要は、逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。 http://ybrd.jp/533

大事なことは、理屈のやりとりではない。

一番大事なのは熱意だ。熱意にかけては最高でなくてはならない。

心の持ち方で結果が変わる。楽観か悲観か、積極か消極か。心のあり方如何で、物の見方が変わってくる。

たとえ3日間の手伝い仕事であっても、その仕事に一生のような心構えで真剣に立ち向かうならば、そこから必ず大きなものを得ることができる。ということです。

「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。

失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい。

一般に指導者が人を使って仕事をしているようにみえるが、見方によっては指導者の方が使われているのだともいえる。だから口では「こうせい」と命令しても、心の奥底では、「頼みます」「お願いします」さらには「祈ります」といった気持ちを持つことが大事だと思う。

迷う、ということは一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。

自らも楽しみ人々にも喜びを与える。大切な人生をこうした心構えで送りたい。

どんな賢人でも、その人ひとりの知恵には限りがあって、だから自分の知恵、才覚だけで事を運べば、考えがかたくなになる。視野が狭くなる。

自分が利を得るために、不必要に自身の膝を屈することは決してすまい。なぜなら、そうして得られた応援や協力は、また目に見えないしがらみを生み、道を暗くするからである。

けっして失敗を運やツキ、他人のせいにしてはならない。そして成功は自分の力量とうぬぼれないこと。

教える人こそいちばん学ぶことが出来る。救う人こそ一番救われている。愛すれば愛される。

私は経営を公明正大にやってきた。いかなる商品も売れるからといって不当な利益をむさぼったこともないし、この価格が適当適正だと考えたものについては安易な値引きをすることもしなかった。

学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である。語らぬ石、流れる雲、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さい事にでも、どんなに古い事にでも、宇宙の摂理、自然の理法が密かに脈づいているのである。

竹に節がなければズンベラボーで、とりとめがなくて風雪に耐えるあの強さも生まれてこないであろう。竹にはやはりフシがいるのである。同様に、流れる歳月にもやはりフシがいる。

不況のときは何が正しいか考え、訴え、改革せよ。

仕事には知恵も才能も大事。しかし、より大事なのは平凡、些細なことを疎かにしない心がけです。

失敗したところでやめるから失敗になる。成功するまで続けたら、それは成功になる。

私は部下に大いに働いてもらうコツの一つは、部下が働こうとするのを、じゃましないようにするということだと思います。

ピンチから這い上がるチャンスは、ピンチになる前に考えていたことからは生まれない。 苦しみに鍛えられ、それが薬となって次の対策が生まれる。

人の言に耳を傾けない態度は、自ら求めて心を貧困にするようなものである。

悩みに負けてしまわず、自分なりの新しい見方、解釈を見出して、その悩みを乗り越えていくことが大切である。

「ありがとう」と言う方は、何気なくても、言われる方はうれしい。「ありがとう」、これをもっと素直に言い合おう。

無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ。

自分と他人を比較したり、他人の行動を必要以上に気にすること自体ナンセンス。人間はひとりひとり違う存在であるから。

世の中の多くの人は、少々うまい事いかなくなると途中で諦めてしまう。 本当に物事を成し遂げる為には、成功するまで諦めない事である。 やっていくうちに、世の中の情熱が有利に展開していくことだってあるのだから。

基本的には人間は成長する。だから、あの人は昔ああだったとか非難してはならない。

こだわりは捨てよう。こだわりは行動に制約を与える。

力強さは使命感を持つところから生まれる。

自分は自分である。何億の人間がいても自分は自分である。そこに自分の自信があり、誇りがある。

志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも必ず道はひらけるのである。 http://ybrd.jp/535

あなたが注意する立場にいても、相手に対する思いやりを忘れないように。

叱ってくれる人を持つことは、大きな幸福である。

不況といい好況といい人間が作り出したものである。 人間それをまくせないはずはない。

誰にでも与えるものはある。笑顔を与える、笑いを与える。求める活動から与える活動へ転換をはかりたい。

不況は贅肉を取るための注射である。今より健康になるための薬であるからいたずらにおびえてはならない。

適正な利益というものは、企業の使命達成に対する報酬である。だから、利益なき経営は社会に対する貢献が少なく、その本来の使命を果たしえていないといえる。

どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。

私は小さい頃貧しかったので、最初は腹一杯食べたい夢でした。丁稚奉公にいってからは、貯金して早く店を持ちたいと思いました。商売をはじめても、大きな会社など望みませんでした。一段上の夢を着実にこなしていっただけです。

私は死の直前まで運命に素直に従いたい。

人に仕事をやらせてみて、7割できれば上出来で残りの3割はトップや幹部の責任である。

苦難がくればそれもよし、順調ならばさらによし、という心づもりを常に持ち、人一倍の働きを積み重ねてゆくことが大切だ。

いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、とにかくこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

常に信念を持って主体的に生きるためには、やはり心静かに、われ何をなすべきかを考え、そのなすべきことをひたすらになしていくことが大切である。

愚痴をこぼす、こぼしたい、そのために人は出来ない理由を探し出す。

悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて、事を成す人は必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。

「本当は、まず汗を出せ、汗の中から知恵を出せ、それが出来ない者は去れ。」と、こう言わんといかんのや。知恵があっても、まず汗を出しなさい。本当の知恵はその汗の中から生まれてくるものですよ、ということやな。

問題は能力の限界ではなく、執念の欠如である。

いくつになっても分からないのが人生というものである。分からない人生を、分かったようなつもりで歩むほど危険なことはない。

信頼できて、横にいるだけでほのぼのと嬉しくなる人というのは同じ波動の人間性を持っている。

全体で決まったことなので・・・などというのは、責任者として取るべき責任の自覚が欠けている。

仕事をするに当たって、まず心を磨くというか、ものの考え方を成長させる必要があります。

長所や短所というものは絶対的なものではない。

かつてない困難からは、かつてない革新が生まれ、かつてない革新からは、かつてない飛躍が生まれる。

愛情がなければ長所を見ぬけない。

とてつもない成功はとてつもない夢から始まる。アメリカ合衆国の独立宣言、それももともと夢であった。

失敗の原因を素直に認識し、「これは非常にいい体験だった。尊い教訓になった」というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思います。

感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。

仕事に悩みがあって、その悩みからヒントを得て解決するというときに、始めてコツがわかってきます。経営にとって、非常に難しい状態とか悩みとかいうものは本当は大きなプラスなのです。経営も経済も、行き詰れば行き詰るほど必ず道は開けてくるのです。

たとえ平凡で小さなことでも、それを自分なりに深く噛みしめ味わえば大きな体験に匹敵します。

経営というものは、天地自然の理にしたがい、世間大衆の声を聞き、社内の衆知を集めて、なすべきことを行っていけば、必ず成功するものである。

お金に不自由しているときは使うにしても真剣である。だからお金の値打ちがそのまま光る。

不況の時こそ会社発展の千載一遇の好機である。 商売は考え方一つ、やりかた一つでどうにでもなるものだ。

感動した一人の客は25人の客を連れて来る。そして不満を持った一人の客は25人の客を減らす。

人生に一足飛びはない。

本当に物事をよくわかっている人とは、まだ自分はほとんどのことがわかっていない、ということをよく知っている人である。

人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。

商売とは、感動を与えることである。

辛抱強く、根気よく。

一生懸命な人にしかチャンスは微笑まない。

石橋だと思ったら叩いていないでどんどん渡ればいい。

すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば必ずうまくいくし、とてつもなく大きな仕事ができるものだ。

こけたら立ちなはれ。

経営が好きであれば、かりに遊んでいても、そこからふっとヒントを得て、それを経営に有効に活かすことができる。

危機を突破すると必ず良いものが訪れる。人生は数々の困難に満ちあふれており、それを突破していくのは信念であり、困難を乗り越えた先には相応の幸福が待っている。

衆知を集めないというのは、言ってみれば、自分の財産は自分が持っている時だけしかないと思っている人と同じやね。少しひらけた人なら、全世界は自分のものだと思っている。しかし全部自分で持っているのはめんどうだから預けておこう、というようなもんやな。

時代は平常時と非常時をくり返して良くなっていく。

知恵のポンプは汲めば汲むほど湧いてくるんや。

他人だからよく見えるものがある。この事実を知れば他人からのアドバイスに素直になれる。

種も蒔かねば、実はならない。

不景気になっても志さえしっかりと持っておれば、それは人を育てさらに経営の体質を強化する絶好のチャンスである。

親切は協力の呼び水。

石の上にも三年という。しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。

人は何度やりそこなっても「もういっぺん」の勇気を失わなければ必ずものになる。

誰も自分を愛してくれていないと感じるのは、あなたが誰も愛さないからである。

私は人の話を聞くのが上手です。 私は学問のある他人が全部私よりよく見え、どんな話でも素直に耳を傾け、自分自身に吸収しようとつとめました。よく他人の意見を聞く、これは経営者の第一条件です。

競争も必要、対立することもあっていい。だが敵をも愛する豊かな心を持ちたい。

人生における成功の姿は、予知できない障害を乗り越え、自分に与えられた道を着実に歩んでいくことにあらわれる。

万策尽きたと思うな。自ら断崖絶壁の淵にたて。その時はじめて新たなる風は必ず吹く。

立派な歴史伝統を持つ会社でも人を得なければ徐々に衰微する。歴史、伝統を生かすのも人である。

百の議論より一つの実行

人類の生命は無限。だからその未来は無限。だから、まだまだお互いに進歩しなければならないのである。

一方はこれで十分だと考えるが、もう一方はまだ足りないかもしれないと考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。

自然に反する生き方をやめ、人の悪口や欠点を言わない、そして人に物をあげること。この三つを実行すれば一挙に人相が好転する。

志を立てよう。自分のためにも、他人のためにも、そしておたがいの国、日本のためにも。 http://ybrd.jp/534

もしあなたが仕事や私生活で好ましくない状況で苦しんでいるのなら、それはあなたが否定的な精神構造になっているからである。

偉人のやり方をそのまま真似るというのではなく、それにヒントを得て自分の持ち味に合わせたあり方を生み出さねばならないと思う。

努力とやる気でコンプレックスの原因そのものをなくす。劣等感を抱くことを当然と考える。

他人はすべて自分よりもアカンと思うよりも、他人は自分よりエライのだ、自分にないものをもっているのだ、と思うほうが結局はトクである。

人事問題は、経営を左右する。

真剣に志を立てよう。生命をかけるほどの思いで志を立てよう。

世の中が大きく変わろうとしているとき、経営者は採算のとれないこと、自信のもてないことはしない。トップが強力に陣頭指揮を取る。どんなことがあってもツキを続ける政策を取るべきである。

粘り強さは必ず不可能に勝つ。

病気と寿命は別のもの。病がいつ死につながるかは寿命に任せ、病を一つの試練と観じ味わい、大事に大切に養いたい。

時には常識や知識から開放され、思いつきというものを大切にしてみてはどうだろうか。

指導者というものは、いろいろなかたちでみずから信ずるところ、思うところを人びとにたえず訴えなくてはならない。と同時にそのことを自分自身が率先実践することが大事であろう。

人の長所が多く目につく人は幸せである。

夢を持ち、意志を強く持ち、努力していれば後押ししてくれる人は増えてくる。

人間の一番の義務。それは幸せを見つけることである。

なすべきことをなす勇気と、人の声に私心なく耳を傾ける謙虚さがあれば、知恵はこんこんと湧き出てくるものです。

経営者の先見性というものは、単に未来を予測するということだけでなく、むしろ未来を創造していく点にある。

この世で根気ほど万能なものはない。才能は万能ではない。才能があっても思い通りの人生を送れない人は多くいる。学問も万能ではない。学歴があってもきちんとした仕事に就いていない人も多くいる。万事に通用するのは意志と根気である。

他人の道に心を奪われ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。 http://ybrd.jp/532

目的確認とチャレンジ目的のはっきりしない組織は100%失敗する。

経営学は知ることができる。しかし、生きた経営というものは、教えるに教えられない、習うに習えない、自得するしかないものだ。

礼儀作法は人間関係を滑らかにする。社会生活の潤滑油である

自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。

経営というものは、非常に躍動的な、しかも生きた総合芸術である。経営には真理が活かされ、善も美も活かされている。そして国家社会のために大きな貢献をするのが、経営である。こう考えると、経営というものは、ほんとうに崇高な総合芸術である。

成功する事業でも寿命は30年、事業の寿命は10年、10年の間に次の事業の開発が必要である。

わしは必ずしも成功したとは考えておらん。なんといっても、人間として生まれてきた以上は、人間としての成功が大事やからね。まだまだそういう意味では成功したとはいえんわけや。

短所を消す極意とは長所を伸ばすに尽きる。

失敗の原因は順調なうちから芽生えている。

アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。これもやはり熱心であること。寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬ、よき知恵が授かる。

人間にとって、出処進退その時を誤らぬことほどむつかしいものはない。それだけに、ときには花をながめ、野草を手にとって、静かに自然の理を案じ、己の身の処し方を考えてみたいものである。 http://ybrd.jp/536

今辛いのは過去が楽だったからである。過去が辛いと今が楽である。全ての歴史は繰り返される。痛みを乗り越えた先には確かな希望が見える。

お互いの長所欠点を良く知り合い、そして欠点を補い合う。そこから共同の仕事の発展が生まれる。

百人までは命令で動くかもしれないが、千人になれば頼みます、一万人にもなれば、拝まなければ人は動かない。

お金も愛情も人材も、心から集めたいという人に集まってくる。そしてそれを大切にしてくれる人のところに集まる。

嫉妬はキツネ色に焼け。

仕事をする、経営をする時になにが一番大事かといえば、その仕事をすすめる人、その経営者の、熱意やね。溢れるような情熱、熱意。そういうものをまずその人が持っておるかどうかということや。熱意があれば知恵が生まれてくる。

賛成する人にも感謝、反対する人にも感謝。

大衆はきわめて賢明であり、きわめて公正である。われわれはつねにこの賢明にして公正な大衆の期待にいかに応え、いかに奉仕するかという点に、経営の根本をおいて仕事を進めなければならない。

成功は運がよかったから。失敗は自分に力がなかったから。そう考えて経営をやってきた。

真実に立つというのは、まことに強いもので、経営者が真実に立っていれば社員やお得意先からの信頼が、おのずと集まってくる。

逆境はもっと素晴らしい人生に踏み込むジャンプ台である。

人を使うには、ほめて使う、叱って使う、批判して使うなどいろいろあるが、ほめて使う人が概して成功している。

愚人の経営もいけないが、賢人の経営もいけない。衆知による経営でなければならないということだ。

事を遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。

人が悪口や批判を述べてくれるのは、道を誤らず、努力して、勉強し、自分を一回り大きくするためと考える。 悪口が耳に入ってくること自体喜ぶべきである。 また悪口というのは嫉妬と裏腹のことが多い。

知るとは、単に知識によって理解するのではなく、体得してはじめて知ったことになる。

商売や生産はその商店や製作所を繁栄させることにあらず、その働き、活動によって社会を富ましめるところにその目的がある。

不況は物の価値を知るための得難い経験である。

まわりの人が別のやり方を選んだり、あなたの目から見て生産性が低いとしても、あなた自身は何ら彼らの犠牲にはなっていない。相手に対しての過大な期待に注意しよう。全てを自分のやり方を中心に考えるのをやめれば、人間の個性や仕事の仕方を認める余裕が生まれる。

希望を捨てなかった人だけが最後に笑う。未来に目を向けていれば嵐の去るのは早い。

自分に害を与える人にも感謝、肯定。なぜならばこの世で起こることはすべて必要で必然だから。

誠実な意志による前向きな行為は必ず報われる。

人はそれぞれの視点を持ち、生産性もそれぞれの尺度がある。人が何をしなかったのかを考えるのではなく、自分が何を得たかにもっと意識を向けることである。  

人生には損得を超越した一面、自分がこれと決めたものには命を賭けてでもそれに邁進するという一面があってもよいのではないだろうか。

信念を持ち、自分の道を力強く歩めば、成功をおさめても有頂天にならず、失敗しても失望しない。

指導者は才能なきことを憂うる必要はないが、熱意なきことをおそれなくてはならないと思う。

普通の努力ではチャンスをチャンスと見極められない。熱心の上に熱心であることが見極める眼を開く。

自信のない人は他人に劣る自分を探しだし、ことあるごとに比較する。

人との出会いは人間革命のきっかけを与えてくれる。

負けないコツは諦めないこと。諦めないでくじけなかったら現象面で負けても実際には負けない。

自分と他人とは、顔もちがえば気性もちがう。好みもちがう。それでよいのである。ちがうことをなげくよりも、そのちがうことのなかに無限の妙味を感じたい。無限の豊かさを感じたい。そして、人それぞれに力を尽くし、人それぞれに助け合いたい。 http://ybrd.jp/537

社長こそ心配する役や。社員の中で一番心配が多いのが社長である。そこに社長としての生きがいがあるんだということを、私は自分自身に言いきかせて、それで難関を突破してきたわけです。

人間は本来働きたいもの。働くことをじゃましないことが、一番うまい人の使い方である。

青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日に新たな活動を続けるかぎり、青春は永遠にその人のものである。

人間というものは、気分が大事です。気分がくさっていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません。しかし気分が非常にいいと、今まで気づかなかったことも考えつき、だんだん活動が増してきます。

わからなければ、人に聞くことである。

志とは、自分の力を超えた存在に、自分という有限な存在を同化させていく作業なのである。

大切なのはその事実ではなく、それをどう捉えるかである。

経営者にとって大事なことは、何と言っても人柄やな。結局これに尽きるといっても、かまわんほどや。まず、暖かい心というか、思いやりの心を持っておるかどうかということやね。

心配や憂いは新しいものを考え出すひとつの転機。正々堂々とこれに取り組めば新たな道が開けてくれる。

仮に、その人が自分の仕事に生きがいを感じられないというように不平を言ったら、「その不平はまちがっている。あなたの仕事の結果はこういうふうに世間に役立っているのですよ。だから、非常に尊い仕事なんですよ」と、言ってあげる。

虫のいいことは、なるべく考えない方がいい。

私達は先のことに向かいがちで一度に多くのことを考えては不安になる。私達の想像はなぜか最悪の方向へ向かいたがる。起こるかわからないことを起こると考えて不安になる。無駄なことである。目先のことに集中すればいい。

わずかな人間の知恵の幅である。賢さの中にも愚かさがあり、愚かさの中にも賢さがひそんでいる。

不思議なものですが、人間、死ぬ気でやってもなぜか死にませんな。

かってない困難、かってない不況からはかってない革新が生まれる。それは技術における革新、製品開発、販売、宣伝、営業における革新である。 そしてかってない革新からはかってない飛躍がうまれる。

山は西からも東からでも登れる。自分が方向を変えれば、新しい道はいくらでも開ける。

決心することが社長と大将の仕事である。

過去は過去として悔やまない。失敗は自分に何かを気づかせるためにあったと割り切る。何事も必然、必要、そしてベストのタイミングで起こる。過去、現在に悔やんでいる人が未来に正常な夢など持てない。

誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。本当に正しく反省する。そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや、人間として。

才能より熱意、運より努力。

何をなすべきかの目標を持ち、使命感を持って、みんなが一致団結するところに成果がある。

大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない。おたがいに心を新たにして、真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである。 http://ybrd.jp/538

医者の言うことはよく聞くべきだ。しかし、本当の主治医は自分自身である。

一度転んで気がつかなければ、七度転んでも同じこと。一度で気のつく人間になりたい。そのためには「転んでもただ起きぬ」心がまえが大切。

何ごとをなすにも時というものがある。 いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。 いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。

成功した人は、普通の人ならその困難に打ち負かされるところを、反対に喜び勇んで体当たりしている。

自分だけが成功しないと気がすまない。そして他人が失敗しないと気がすまない、他人の不幸が自分にとっての幸せ、そう考えるのは心、または肉体に傷をおっている人である。

不況、難局こそ何が正しいかを考える好機である。不況の時こそ事を起こすべし。

抽象的なことほど具体的に伝える。そして納得させれば人は自ら動き出す。

お客様の苦情から商品の欠陥が判る。お客様の要望が新商品のヒントになる。お客様とは本当に有難いものです。

商売は知恵でするもの、知恵には知識が必要だが知識だけで商売をしてはならない。この知識に熱意を掛けて、体験を加味すればうまくいく。

経営がうまくいくのもいかないのも、国がうまくいくのもいかないのも、外部ではなく内部に原因がある。

愛のない経営が好ましくないように、愛なり慈悲の少ない政治は許されるはずがない。

とにかく、考えてみることである。 工夫してみることである。 そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい。

恵まれた生活も結構だし、恵まれない暮らしも結構、何事も結構という気持が大切だと思います。

人は何度やりそこなっても、「もういっぺん」の勇気を失わなければ、かならずものになる。

自分の仕事は、人の助けなくして、一日も進み得ないのである。

真実に立っての言動は、やはり人の心に通じるし、そのことがまた、自分の行き詰まりを打開する上でも極めて大きな力になると思うのである。

雨が降れば傘をさす。

難しい、困難だ、大変だ、疲れた、苦しい、どうでもいい、もう年だなどという言葉は行動を妨げる。

人間の知恵というものは、しぼればいくらでも出てくるものである。もうこれでおしまい。もうこれでお手上げなどというものはない。

今日は残りの人生の1日目。

私のこれまでの体験からいうと、現在与えられた今の仕事に打ち込めないような心構えではどこの職場に変わっても決していい仕事はできない。

商人に好不況はない。 いずれにしても儲けなければならない。

この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる。

思ったことが全部実現できたら危ない。3回に1回くらいがちょうどいい。

自分が病がちだから先頭にたって、商売をすることはできない。どうしても自分の代理に頼んで仕事をしてもらうことになる。そうなれば10人にも100人もの人にも頼めるし、非常に多くの仕事を出来るようになる。

自分だけ儲けようという考え方は、どこかに弱さがある。社会とともに発展するのだ、世の中のためになる仕事をするのだ、と考え実践してこそ、経営に力強さが生まれる。

いかにすぐれた才能があっても、健康を損なってしまっては十分な仕事もできず、その才能もいかされないまま終わってしまいます。

運がいいと思えば運がよくなる。悪いと思えば悪くなる。運がいいとか悪いとか、本来そういうことはなく本人がどう思うかである。

素直な心で見るということがきわめて大事だ。そうすれば、事をやっていいか悪いかの判断というものは、おのずとついてくる。

悩みはあって当たり前。それは生きている証であり、常に反省している証左でもある。

私のこれまでの人生というものは、さまざまなことを教えてくれた多くの人々の「一言」によって支えられ、成り立っていると言っても過言ではありません。

一般的に成功している人、運が向いてきた人を見ると、やはり周囲にいる人も運がいい人ばかりである。

社会生活は日々これ戦い、日々これ苦難。その時に心が動揺するかしないかは、信念の有無で決まる。

心理的に成長した人は、たいてい他人の長所を見ている。

それでお客様は喜びますか?

指導者に、ぜひともこれをやりたいという強い熱意があれば、それは必ず人を動かすだろう。そしてその熱意に感じて、知恵ある人は知恵を、才能ある人は才能をといったように、それぞれの人が自分の持てるものを提供してくれるだろう。

自分の子供と同じように他人を見ることができれば最高である。

すぐに勝ち負けを問題にしてはいけない、議論はお互いに相手を納得させようとして始めるものである。

部下の失敗はただ叱れば良いというものではない。失敗を自覚している時には、慰めも又必要です。

何事もゆきづまれば、まず、自分のものの見方を変えることである。案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。

誠意や真心から出たことばや行動は、それ自体が尊く、相手の心を打つものです。

人には燃えることが重要だ。燃えるためには薪が必要である。薪は悩みである。悩みが人を成長させる。

無限に発展する道はいくらでもある。要はその道を探し出す努力である。

幸福に生きるためには過去を肯定し、現在を前向きに生き、未来に夢を持つ。

不景気になると商品が吟味され、経営が吟味され、経営者が吟味されて、そして事が決せられる。従って非常にいい経営者のもとに人が育っている会社は好況のときは勿論、不況の時にはさらに伸びる。

心の底で自分は愛されるに値しないと感じている人も実際には多くの人から愛されている。その事実を感じ取れていないだけである。

楽に流される自分から抜け出し、主役になれば仕事が楽しい。

志さえ失わなければ、困難や問題は全て新たな発展の契機として生かすことが出来る。

人は、あるところでは卑劣に行動しながら、別のところで高徳に振る舞うことはできないのである。その些細な心の緩みやごまかしが、全体を蝕んでいくのである。人は騙せても自分自身は騙せない。

成功する人はいい習慣をもっている。手紙を書く、メモをとる、本を読む、どこへでも飛んでいく、その日にすべきことはその日にやってしまう。

私は、失敗するかもしれないけれども、やってみようというようなことは決してしません。絶対に成功するのだということを、確信してやるのです。何が何でもやるのだ、という意気込みでやるのです。

最悪の仮想未来に生きてはいけない。

成功した人は、普通の人ならその困難に打ち負かされるところを、反対に、喜び勇んで体当たりしている。

いい部下に恵まれたこと、ひいきにしてくださるお客様がたくさんできたこと。そういうことやろな。今日のわしの成功は、部下とお客様のおかげやな。成功の理由はそれやな。ありがたいことやとしみじみ思う。

この世に存在する一切のものは、すべて不要なものは一つもない。

豊臣秀吉は、主人である織田信長の長所を見ることに心がけて成功し、明智光秀はその短所が目について失敗したといいます。

頑張ることを決意した人には不思議とチャンスが巡ってくる。

時流と基本が合致したとき、見事にうまくいく。

健康であるために必要なことは何かというと栄養であるとか、休養とかいろいろあるが、特に大切なのは心の持ち方です。 命をかけるというほどの熱意を持って仕事に打ち込んでいる人は少々忙しくても疲れもせず、病気もしないものです。

友を見ればその人がわかる。人脈というのは、いわば偏差値であってレベルの高い人の周りにはそれだれの人が集まる。そしてその欠点をカバーしてくれる仲間を持つ。

知れば知るほど世の中のことを知らないことに気づいてくる。自分一人では本当に何も出来ないといっていい。この事実に気づけば人は謙虚になる。謙虚な人には誰もが心の底から助けたくなる。自身過剰は成功への足かせとなる。

人生にはおもしろくないことがたくさん起こる。それは全て自分に責任がある。何かを気づかせるために起こるということを知っておいたほうがいい。

不況の時は素直な心で、お互い不信感を持たず、対処すべき正しい道を求めることである。 そのためには一人一人の良心を涵養しなければならない。

与えられたすべてを天職と思って努力するのが一番。現実から目をそらしたら天職はみつからない。いたずらに何回転職しても天職にたどりつけない。

十のサービスを受けたら十一を返す。その余分の一のプラスがなければ、社会は繁栄していかない。

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